ゲンビどこでも企画公募2016
募集期間:2016年7月1日(金)~8月31日(水)
展覧会:2016年11月5日(土)~11月27日(日)
■ 応募総数 131件
■ 特別審査員 飯田志保子、沢山 遼、藤本由紀夫
入選作品・展示風景
特別審査員・講評
飯田志保子(インディペンデント・キュレーター、東京藝術大学准教授)
アーティストは自分が見たい、作りたいと思うものを作るもの。その実践が根差す最も重要な根幹は、誰に頼まれなくても制作し続ける、きわめて個人的な営為であることです。それを認識したうえで、しかしながらアーティストは同時に、現代の社会情勢を無視して制作だけに没頭していられるほど平穏な時代に生きてはいないことも自覚しなければならないでしょう。作品を発表するには、展示環境をとりまく諸条件と文脈を考慮し、それらと交渉し、作品をいかにして鑑賞者がいる現実社会に着地させるかが付きまといます。制作と展示の違いは、個人的な営みから公的な場での提示という別次元にアートの実践がシフトすることにあります。
こうした観点からみると、このたびの公募では広島市現代美術館と館が立地する広島の歴史的背景を意識した案は少なかったように思います。そこで審査するにあたり、少なくとも館の空間の特性に挑戦し、応答しようとする試みをより評価し、作品としては良い出来栄えになることが予想される案であったとしても、広島現美でなくとも展示可能なものはあえて高い評価にはしませんでした。 鮫島弓起雄さんの《偽広島市現代美術館》の案はエントランスホールの建築的な特徴を読み込んだ単純明快さが秀逸でした。長谷部勇人さんの案は、お祖父様のカメラというパーソナルな視点をとおして広島ドームと関係性を築こうとする点を評価しました。同じくヒロシマを主題としながらも遠藤優斗さんは対照的に、自己を明け渡すような方法で市内に多く残るモニュメントを制作した彫刻家の意図を体得せんと葛藤した点――特にリサーチ、塑像制作、パフォーマンスを経て祈りの形の再現に至る、ユーモラスでありながらも外部化された「ヒロシマ」をいかに内在化させるかのプロセスを評価しました。両者の案には、「ヒロシマ」を作品の主題として消費するような一過性のものにならないことを期待したいと添えておきます。友定睦さん、近藤南さん、メランカホリさんの案は美術館の文脈をうまく活用していますが、広島現美の固有性により焦点を当てることと、技術的な精度が求められると思います。
東京オペラシティアートギャラリーに11年間勤務。ブリスベンのクイーンズランド州立美術館に客員キュレーターとして約2年在籍後、韓国国立現代美術館2011年度インターナショナル・フェローシップ・リサーチャーとしてソウルに滞在。アジア地域の現代美術、美術館やビエンナーレをはじめとする芸術文化制度と社会の関係、共同企画に関心を持つ。
沢山 遼(美術批評家)
無料パブリックスペースでの展示プランという条件を意識したためなのか、良くも悪くも、鑑賞者の存在をあらかじめ意識した安易に民主的な作品が多く見受けられた。あるいは、昨今の現代美術の世界では、鑑賞者と作品との双方向的な関係を重視したものが多いので、そのような傾向を内面化した結果かもしれない。が、作家は広告代理店ではないし、作品は他者の存在を前提としたアトラクションではない。感覚に訴えかけるだけの無内容で大掛かりな装置をつくる必要はまったくない。他者への訴求力よりも、自分が作品を通してなにを見いだし、なにを変革したいと考えているのか、その上で自分が、他者や歴史と呼ばれる過去の時間の堆積と、どのような関係を構築したいと考えているのか、そのような思考のプロセスと掛金を見せて欲しいと強く思う。その中でも、数名の出品者は、最小限の作業により、大きな跳躍を果たす作品を提案することに成功していたと思う。複雑な思考を複雑に表現するのではなく、複雑な思考をごく単純に表現することにこそ、作家の力量が問われるのではないだろうか。
美術批評家として、雑誌などへの寄稿多数。最近の論考に「高松次郎を斜めから見る」『高松次郎 制作の軌跡』(水声社、2015年)、「ポスト・モダン批評と言語の牢獄」『Booklet 24 美術と批評』(慶應義塾大学アート・センター、2016年)など。武蔵野美術大学、首都大学東京、東京藝術大学非常勤講師。
藤本由紀夫(アーティスト)
2006年から2007年にかけて、名古屋市美術館、広島市現代美術館、和歌山県立近代美術館の3館で個展を行った。その3つの美術館は全て黒川紀章の設計であった。曲面を多用したフォルムと、贅沢な素材を使った建物の外観やエントランス等の空間はかなり個性的な造りになっているが、私には何故このような空間をつくる意味があるのか結局理解できなかった。
その私には魅力的とは思われなかった空間を積極的に取り込んで作品を制作するという公募展の審査を今回引き受けることになって、この空間をどう扱うのか興味があった。
そのため、候補作の中から作品として優れていても、この空間でなくても、むしろ展示室で体験したいと思った作品はまず除外した。次に、空間を意識した作品の中でも最終的に私が選んだものは、少しばかりこの空間に対して懐疑的なものになった。その結果、応募作品の中で私は、メランカホリと冬木遼太郎の作品を見てみたいと思った。このことは、10年前に私がこの美術館で感じたことが影響していると思われる。
80年代半ばより日常のなかの「音」に着目した装置、サウンド・オブジェを制作。インスタレーションやパフォーマンス、ワークショップを通じて、空間における「音」の体験から新たな認識へと開かれていくような活動を展開している。主なグループ展に2001年「第49回ヴェニス・ビエンナーレ」、2007年「第52回ヴェニス・ビエンナーレ」など。