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EVENT REPORT 03クライマックス・トーク

9月29日、比治山にて展開してきた「夏のオープンラボ:タイルとホコラとツーリズム season6《もうひとつの広島(フィールド・オブ・ドリームス)》」もいよいよ閉幕を迎えました。最終日には、谷本研+中村裕太、そして港千尋氏を迎えて「クライマックス・トーク」が開催されました。会場後方のトウモロコシ畑(が描かれたバックパネル)から三名が登場すると、会場から大きな拍手がわきました。

まずは港氏から広島と北広島との縁についてお話しいただきました。

港氏と広島および北広島とのつながりは、2007年のヴェネツィア・ビエンナーレ日本館のコミッショナーを努めたことにさかのぼります。日本館出品作家の岡部昌生氏と協働し、広島港にある旧国鉄宇品駅のプラットホームに使用されていた被曝石からフロッタージュ作品を発表したことを契機に、その後も継続的に広島と関わりを持ち続けてきました。さらに岡部氏のアトリエが北海道北広島にあることから、北広島へも定期的に訪問なさっているとのこと。ふたつの広島を訪れてきた港氏のお話は、自ずと今回のプロジェクトと交差していきます。

トピック1:野球がつなぐふたつの広島

谷本氏、中村氏からはあらためてプロジェクトについて解説がされました。(「TEXT」参照。)タイトルである「もうひとつの広島」とは、1984年に広島市で開催された「北海道移住100年記念展」のキャッチコピーを参照し、さらに「フィールド・オブ・ドリームス」とは野球を主題とした映画のタイトルを参照しています。ふたりは北広島にカープファンが多くいたことや、少年野球チーム「カープジュニア」の名前が広島東洋カープに由来している等のエピソードを紹介しながら、「野球」を介してふたつの広島がゆるやかにつながるアイデアについて語りました。

近年、北広島には日本ハムファイターズの本拠地となる「ボールパーク」建設が構想されています。このことに関し、港氏は「現在、北広島は開拓時代以来の最大の変化を迎えている」と指摘します。道路の拡張や商業施設の建設が進み、地域の様相が大きく変わっていくことが予定されるだけでなく、住民たちもカープファンからファイターズファンへと転向してきています。市民と野球との関係性がふたつの広島の関係性にも変化を与えてきたことが想像されます。

トピック2:旅/移動と作品制作

話題は三名に共通する「旅/移動と作品制作」について。港氏によると、岡部氏が広島で被ばくの記憶を作品化するためにフロッタージュをはじめたのは段原でした。そして、岡部氏が北広島在住であることを知った段原の地元の方が、かつて段原から北広島へ多くの人が渡ったことを教えてくださったそうです。美術家が旅し制作を行うと、思わぬ出会いや発見を引き寄せるといいます。

さらに谷本氏、中村氏によるこれまでの「タイルとホコラとツーリズム」についてもふりかえりがありました。

2014年からお盆の時期に京都で行われた本プロジェクトは、回を重ねるにつれ旅する場所も広がってきました。例えば「season3《白川道中膝栗毛》」では、京都から大津までの白川街道をポニーと一緒にキャラバンし、ポニーの毛から作品制作へつなげました。「season4《一路漫風!》」では、対馬・沖縄・台湾・済州島などの島々を巡り、他の旅行者にも旅をしてもらい、他者の視点を取り入れて作品化しました。手足を動かすなかで生まれる偶然や感じたことを重視して作品制作に取り組もうとするふたりの姿勢は、今回のseason6でも一貫しています。

エピローグ

トーク終了後の質疑応答にて、和田平内(和田郁次郎の養子先)の子孫にあたる和田統行さんが手をあげてくださいました。広島の和田家のお墓が(美術館が建つ)比治山にあり、お墓参りの際に本展を知ってくださったとのこと。郁次郎の弟が比治山の造成にたずさわっていたことなど貴重なお話しをしてくださいました。

まさに映画『フィールド・オブ・ドリームス』のなかで、“声”に導かれてつくられたフィールドに歴代のメジャーリーガーたちや主人公の父親が訪れたように、谷本氏と中村氏が比治山に用意したフィールドには、和田郁次郎の子孫があらわれたのでした。

展示最終日に登場した和田郁次郎の子孫との対面によって会場が大きく盛り上がるなかで、クライマックス・トークは閉幕しました。

クライマックス・トーク

日時
2019年9月29(日)14:00–15:30
会場
地下1階ミュージアムスタジオ
出演
谷本研+中村裕太
港千尋(写真家、多摩美術大学
美術学部情報デザイン学科教授)