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  • きたひろ.TV|北海道 北広島市の魅力を伝える動画サイトより
  • 北広島の民具とその張り子|「北海道移住100年記念展」(1984年、広島市)より

1開拓始祖 和田郁次郎たちの歩んだ道

  • 2012
  • カラービデオ(05’43” [06’58”])、音声
  • 映像提供:きたひろ.TV

明治17年(1884年)5月、段原村出身の和田郁次郎率いる広島県人18家族が “先発” として輪厚(わっつ)川沿いの入植地へ到達。ここを中心に “全力投球” による開墾がはじまりました。大曲(おおまがり)歴史の会の方々の案内で、入植地へ至る旧道の名残りを探索します。谷本

  • ※展覧会時、会場のモニターにはオリジナル映像のリピート再生の合間にリサーチ時の写真が挿入されました。
    [ ]内はそれらを含めた時間です。

2北広島の民話シリーズ3 きつねの道案内

  • 2013
  • カラービデオ(07’17” [08’33”])、音声
  • 映像提供:きたひろ.TV

入植前年の視察時、吹雪に見舞われ道を失った和田郁次郎を二匹のきつねが救った物語を紹介。二匹の姿が郷里広島に残した妻子に重なります。伝説の中で、まさにきつねは郁次郎を導く “女房役” として語られるのです。谷本

  • ※展覧会時、会場のモニターにはオリジナル映像のリピート再生の合間にリサーチ時の写真が挿入されました。
    [ ]内はそれらを含めた時間です。

3みな女地蔵物語 西の里黎明期の物言わぬ証人

  • 2012
  • カラービデオ(05’50” [07’05”])、音声
  • 映像提供:きたひろ.TV

入植翌年の「明治十八年(1885年)」と刻まれたお地蔵様の謎に迫ります。北広島の市民が作成した紙芝居では秋田県から移住した杣工(そまこう・山林の木を切り出す職人)の娘をとむらう石仏として描かれます。開拓時代の厳しさと広島村ができてからのすべての年月を知っているお地蔵様です。谷本

  • ※展覧会時、会場のモニターにはオリジナル映像のリピート再生の合間にリサーチ時の写真が挿入されました。
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4北広島の民話シリーズ7 馬頭観音

  • 2014
  • カラービデオ(05’42” [06’57”])、音声
  • 映像提供:きたひろ.TV

明治33年(1900年)からまつられる、北広島でもっとも古い馬頭観音様です。農耕や運搬に馬が活躍した時代の守護仏であり、旅の道中も見守ってきました。“走者” に目を見張り、内と外をつなぐ要のような存在といえます。谷本

  • ※展覧会時、会場のモニターにはオリジナル映像のリピート再生の合間にリサーチ時の写真が挿入されました。
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5北広島の民話シリーズ1 ほうかぶり地蔵

  • 2012
  • カラービデオ(05’05” [06’20”])、音声
  • 映像提供:きたひろ.TV

昭和18年(1885年)、南方へ出征した個人の無事を祈ってたてられた石仏が、やがて村人を守る存在になりました。道行く人が代わる代わるほっかむりをさせることから「ほうかぶり地蔵」と親しまれました。谷本

  • ※展覧会時、会場のモニターにはオリジナル映像のリピート再生の合間にリサーチ時の写真が挿入されました。
    [ ]内はそれらを含めた時間です。

6知新の駅を10倍楽しもう ~第四回 企画展

  • 2015
  • カラービデオ(06’32” [07’45”])、音声
  • 映像提供:きたひろ.TV

北広島の生活や文化、自然や歴史を伝える拠点として平成26年(2014年)に開館した「北広島市エコミュージアムセンター知新の駅」の展示を紹介。開拓者子孫たちが大切に残してきた民俗資料などから語りかけてくる声に耳をすませましょう。谷本

  • ※展覧会時、会場のモニターにはオリジナル映像のリピート再生の合間にリサーチ時の写真が挿入されました。
    [ ]内はそれらを含めた時間です。

7北広島ライオンズクラブ旗争奪 西の里カープジュニアの戦い

  • 2017
  • カラービデオ(10’01” [11’20”])、音声
  • 映像提供:きたひろ.TV

昭和50年代(1970年代後半)からのカープ黄金期、ニュータウン開発で人口増加した北広島に少年野球チームが誕生。現在も市内7学区中4チームが「カープジュニア」を名乗ります。かつては本家カープの選手も毎年訪れ、指導と交流がおこなわれました。谷本

  • ※展覧会時、会場のモニターにはオリジナル映像のリピート再生の合間にリサーチ時の写真が挿入されました。
    [ ]内はそれらを含めた時間です。

8夢のボールパークはここに建つ!

  • 2018
  • カラービデオ(04’52” [06’11”])、音声
  • 映像提供:きたひろ.TV

現在北広島では、令和5年(2023年)、市内にオープン予定の日本ハムファイターズ本拠地の話題で持ちきりです。ファンの多数派もカープから日ハムへ。はからずも野球をめぐり象徴されるゆるやかな郷土愛は、新しい“イニング” へ進みます。谷本

  • ※展覧会時、会場のモニターにはオリジナル映像のリピート再生の合間にリサーチ時の写真が挿入されました。
    [ ]内はそれらを含めた時間です。

9北広島地名あれこれ① 『北広島って?』

  • 2016
  • カラービデオ(03’39” [04’52”])、音声
  • 映像提供:きたひろ.TV

入植から十年を経て一村落となり、道庁から「和田村」の名を提案されるも、同郷の士と開いた地を郁次郎は「広島村」と命名。今に残る「北広島」という名が、遠く離れた “ホーム(=広島)” と不思議な関係を繋いでいます。谷本

  • ※展覧会時、会場のモニターにはオリジナル映像のリピート再生の合間にリサーチ時の写真が挿入されました。
    [ ]内はそれらを含めた時間です。
  • 木挽鋸(こびきのこ)

1木挽鋸(こびきのこ)

  • 2019
  • 和紙、ボール紙、土
  • 107×53×7cm

のこぎりの大きさは、丸太の太さを想起させる。切り倒した木を寝かせ、左手で柄をもち、右手で刃の角度を調整する。そして、彼らは両手で大きく引き込みながら木材を切り出していった。中村

  • 馬鍬(まぐわ)

2馬鍬(まぐわ)

  • 2019
  • 和紙、ボール紙、土
  • 97×147×5cm

刃先のすり減りは、大地の硬さを想起させる。馬の鞍から二本の鎖を垂らし、鍬の先に結びつける。彼らは器用に馬を手綱で誘導しながら、鍬を地面に強く押し込んで耕していった。中村

  • 田下駄

3田下駄

  • 2019
  • 和紙、ボール紙、土
  • 70×52×75cm

下駄の大きさは、身のこなしの大胆さを想起させる。力士が四股(しこ)を踏むように片足を大きく横に振り上げる。彼らは土のかたまりを踏み砕きながら泥をかき分けていった。別名は大足。中村

  • ころがし

4ころがし

  • 2019
  • 和紙、ボール紙、土
  • 250×60×60cm

農具の長さは、田んぼの広大さを想起させる。田んぼのなかで転がすことで枡形の跡を付け、田植えの目安とした。彼らは横一列に並び、唄を歌いながら転がしたのだろうか。大型の農具だが一年に一度だけの出番のため納屋の軒下に吊るされていた。中村

  • 鉄鍋(弦鍋)

5鉄鍋(弦鍋)

  • 制作年不詳
  • 金属
  • 39×46×40.3cm
  • 広島市所蔵

鍋の大きさは、大家族の食卓を想起させる。彼らは仕事を終えたあと、囲炉裏を中心とした家族の団欒を楽しんだ。時には勢い余って、鍋を割ることもある。鍋口の補修から道具を大切にしていたことが伝わってくる。中村

  • 皿

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  • 制作年不詳
  • 陶器
  • 4×24.4×24.4cm
  • 広島市所蔵

皿の絵柄は、郷土の景色を想起させる。北海道には札幌焼、函館焼なども見られるが、生活雑器の多くは瀬戸や美濃など本州の陶器が使われた。彼らはその絵柄から瀬戸内海の島々を思い起こしたのかもしれない。中村

  • カンテラ

7カンテラ

  • 制作年不詳
  • 金属(アルマイト)、ガラス
  • 41×19×15cm
  • 広島市所蔵

ランプの灯りは、夜の仕事を想起させる。日中の仕事を終えると、ランプを手に山の作業所に道具を片付けに行く。彼らはランプの薄明かりのなかで明日の支度をしていたのかもしれない。ドイツ製の携行用ランプ。中村

  • ゲロリ

8ゲロリ

  • 2019
  • 和紙、ボール紙、ダンボール、土
  • 15×32×11cm

下駄に施したひと手間は、冬への楽しみを想起させる。氷の張った池や田んぼは、格好の遊び場だ。彼らは足袋に下駄という出で立ちで田んぼを滑走した。別名は下駄スケート。中村

  • 角巻き

9角巻き

  • 制作年不詳
  • 布(羊毛)
  • 163×178×0.5cm
  • 広島市所蔵

羊毛の膨らみは、冬への覚悟を想起させる。本州の毛織物工場で作られ、道内の呉服店を通じて普及した女性用の防寒具。彼女らは、巻きつけるように羽織って安全ピンで留めることもあった。冬に馬そりに乗るときに欠かせなかった。中村

  • 北海道移住100年記念展

A北海道移住100年記念展

  • ※展覧会時、会場のモニターにはオリジナル映像のリピート再生の合間にリサーチ時の写真が挿入されました。
    [ ]内はそれらを含めた時間です。
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美術家の谷本研と中村裕太は、比治山のふもとに位置する段原地区のリサーチをきっかけに、明治期、同地区出身の和田郁次郎(わだ・いくじろう/1847-1928)率いる多くの広島県人が北海道の現・北広島市に移住したことに着目しました。野球場に見立てた会場には、北広島の魅力を伝える「きたひろ.TV」の映像と、開拓の足跡やその後の暮らしを紹介する「北海道移住100年記念展」(1984年、広島市)ゆかりの資料群が、選手になぞらえる形で配されています。

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