観客賞決定!ご投票、ありがとうございました。
来場者のみなさまに、心に残った作品へ投票いただき選出される「観客賞」。
2月20日(土)から2月28日(日)まで投票を行い、このたび以下のとおり「観客賞」が決定しました。
観客賞 生田 海斗+川畑 純の《ニチギン・ピースシアター》
※3月7日(日)まで入選作品展開催中!(展覧会情報はこちら)
光岡 幸一Koichi Mitsuoka
《詩のある風景とこれから》
旧日本銀行の建物の外壁に、戦争を経験した表現者によって書かれた詩が書き写される。当時から残るこの建築を原稿用紙にして、生きた言葉で描かれた詩を書写することにより、歴史の保存と継承が問われるこの場所において、言葉が当事者性を越えて現在の私たちに作用する。
*事情によりこのプランは実現できなかったため、実際の展示とは異なります。
Kanae Otani
《いつかここではないどこかで》
沖野 純・辻 大海Jun Okino and Takami Tsuji
《PAPER BAND》
生田 海斗 + 川畑 純Kaito Ikuta and Jun Kawahata
《ニチギン・ピースシアター》
角 文平Bunpei Kado
《Secret room》
菊田 真奈Mana Kikuta
《Senbazuru》
諏訪 葵Aoi Suwa
《仕切りを解かすための触媒》
寺岡 波瑠Haru Teraoka
《広島式オーダー》
撮影:田中功起
横浜美術館館長
撮影:Takehiro Goto
建築家
今回の特別審査委員のオファーの説明を受けたとき、直感的に素晴らしい企画だと思いました。展示場所が美術のためにしつらえられた空間ではなく、全く異なるファンクションのために建てられた旧日本銀行広島支店であること、さらに被爆建物であるということの価値を見出して未来へ繋ぐ提案の募集だったからです。
私自身も、これまで製錬所跡(犬島)や地下貯水槽跡(デンマーク Cisternerne)などでの取り組みでは、既存建築とアートとの関係において、その場所の自然や歴史的な背景のリサーチを行い新たな価値を見出すことに積極的に取り組んできました。人と地球との知的な関係を示す提案を期待していました。
特に《いつかここではないどこかで》《PAPER BAND》は高く評価しました。前者は被爆空間で植物、人に関わらず地球上の全生命体のアイデンティティの尊厳について問いかけ、後者は銀行の空間性を利用してwhite・black の変化する帯のみで経済ヒエラルキーを表現しています。どちらもこの場所ならではの作品であり、恒久展示としてもいいくらいの魅力とメッセージを感じさせます。2週間の展示はもったいない。被服支廠などの被爆建物や旧銀行建物などで巡回など企画してはいかがでしょうか。
撮影:池田晶紀
アーティスト、3331 Arts Chiyoda 統括ディレクター、
東京藝術大学教授
本公募におけるプロジェクトプロポーザルは、「旧日本銀行広島支店」の「銀行」と「広島」という強い二つの概念が大きく特徴づけている。プロポーザルの多くは、「広島」という被爆から来るイメージを直接的に利用するものが多かった。歴史的建築性や空間性から作品構成にアプローチしている企画が目立つ一方、その社会的機能面である金融、信用という側面から「銀行」を捉えている人は少なかった。
その中で、沖野純・辻大海さんのプロジェクトプランは、丁寧な事前スタディと大胆な空間構成を計画しており、完成時から展覧会会期中における作品の進化に期待感が持てた。今はあまり使われなくなった「感熱紙」の熱を感じ取り変化する機能を、本来の用途とは異なって使うところが新鮮な視点である。この感熱という紙の色が変化する様は、被爆する見えない物質=放射能のメタファーともなっておりコロナ禍における危機感、恐怖感も密やかに喚起する。また、ルーバー状に空間を構成する感熱紙は、旧銀行内での二つの用途における空間を横断させる事により、銀行特有の価値の聖域性をアフォーダンスし空間のゲニウスロキが持つ肌理を熱転写するようである。
撮影:Eiichiro Sakata
デザイナー、ビジョナー、
コミュニケーションデザイン研究所所長
事情により、平野氏による講評の掲載はありません
旧日本銀行広島支店は、背負っている歴史、建物の造形など、重量級の要素がびっしりと詰まった存在です。それだけに、それらしい視点をひろってプロジェクトを組み立てることは比較的容易ですが、逆に「それらしさ」を超えて思いがけない切り口を見出すことがむずかしい相手です。今回は、残念ながら「それらしさ」以上の可能性を示す提案が少なく、全体に優等生的な感じを受けました。また、あれだけの大空間を前に、小さな造形物の提案が多かったことも意外でした。その中で、光岡幸一さんの、終戦直後に広島の銀行で働いていた行員の詩を建物に大書する、というプランには、なんとかご自分なりの視点を見つけようとする意志が感じられました。原爆という歴史的な出来事のあとで、淡々と日々の業務をこなす、という、非日常と日常が入り混じった奇妙な経験を伝える個々人の声が、この建物をステレオタイプな「歴史の生き証人」「市指定重要文化財」という役割から解き放ってくれるのでは、という期待を抱きました。