鯉のぼり

2つの「鯉のぼり」が交わりました。

その1つが、5年ほど前に鈴田滋人さんが語ってくださった言葉です。「最近ふと思ったのが、鯉のぼり。あれはすごいなと。テレビの映像で見たんです。東日本の被災地で節句の日に鯉のぼりを泳がせていて、みんながすごく喜んでいた光景を。当たり前の光景と言えばそうなんですが、でも川に泳いでいる魚をそもそも空に泳がそうとした発想が面白いし、布を丸めて風を通す穴を開けて絵を描いているだけでしょ。なんてこともないものなのに、みんなが大喜びするんです。誰が最初にあれを考え出したんだろうと思った瞬間に、更紗なんかで模様をつくったら面白いんじゃないかと。生活の中に当たり前のこととして入り込んでいることのすごさ。そういうものを残すことができたら、工芸の持っている役割も果たせるんじゃないでしょうか。」

この鯉のぼりの「発見」は鈴田滋人さんの中でとても大きな意味を持ち、先日お会いした時にも話題になりました。鈴田滋人さんが父親である照次さんから受け継いだものとして、木版摺更紗のわざともう1つ、能古見(のごみ)人形という土鈴人形の工房であることを思い起こせば、この「発見」の切実さが想像できるでしょう。

そして、もう1つの「鯉のぼり」が平野薫さんの個展「コイノボリ サカノボリ」です。平野さんが今回解いて作品としたのは、ギャラリーがある広島県安芸太田町の古い蔵から見つかった50年前の鯉のぼり。経糸と緯糸とに解かれて、小さなギャラリーのなかで悠然と泳いでいる鯉のぼりの姿は壮観で、同時にとても親密なものでした。

ギャラリーでの展示風景

光と空気に混ざり合いながら、しかし鯉のぼりとしてのかたちと模様を留める糸の一本一本が、まるで記憶の残像のように震え、私の眼と身体に触れてきました。鯉のぼりといっしょに記憶という川をゆるりと泳ぎ、ぷかぷかと浮かぶ気持ちよさと言えば、あまりにも比喩的でしょうか。

しかし平野薫さんが今回の個展で見せたかったのは、鯉のぼりの姿や糸の存在よりむしろ、そういった震えや揺らぎのようなものだったにちがいありません。鯉のぼりの周囲に配置された写真や映像の作品が、時間とは一方向に流れ去るばかりではなく、伸び縮みしたり震えたり、揺らいだり浮かんだりするものだと静かに語りかけ、真ん中を泳ぐ50年前の鯉のぼりと睦まじく結び合っていました。

https://www.mmprojectart.com/current-kaoru-hirano

鈴田滋人さんは鯉のぼりから工芸という仕事のさらなる可能性を見出し、平野薫さんは人の記憶やそこに降り積もる時間へと遡っていったのです。

2017年08月02日(水)

ページのトップへ戻る