月待ちの浜

 

出かけるときは肌身離さず持っている名刺入れがあります。緑色を基調としたやわからいイメージが気に入っています。なによりこれは、髙木秋子さんが作品として発表された木綿地風通織着尺「竹の春、秋」とおなじ裂を使ってつくられているもので、私にとってはお守りのような存在です。

私が染織やテキスタイルに関わっていくきっかけをくださったのが、存命中の髙木秋子さんでした。学芸員になりたての私に、髙木秋子さんは作品をはじめとしたご自身の一切合切を包み隠さず託してくださいました。その結果、ごく小さな規模ではありますが、私にとっては大きな意味を持つ展覧会を実現することができました。

その髙木秋子さんの、今回の出品予定作でもある木綿地風通織着物「月待ちの浜」について、以前書いたテキストが出てきたのでここに紹介させてください。

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幾何学柄の一枚の着物を前にして、ひとはそこになにを見るのでしょうか。

濃淡2種類の藍をベースにして、白と黄色の線が縦横に走っています。よく見れば白の横線は直線ではなく鎖状。着物の静かな印象の中にわずかな動きをもたらしています。じっと見ていると、白の線の動きに連なって全体の格子柄もゆるやかに揺れていくよう。大胆な絵柄が描かれているわけではなく、経糸と緯糸とで織られた端正な格子柄であればこそ、その空間はまるで揺りかごのようにやさしく揺れ、水面のようにしずかに震えます。

「月待ちの浜」とは、なんと美しいタイトルでしょう。ここにあるのは着物のかたちをした布ですが、そこにはもっと大きな風景が広がります。月がゆっくりと昇り始めた海岸に立ち、肌に触れてくる風までもが捉えられているようです。

戦後、染織の道に踏み出した髙木秋子は、紬に絣、浮織に両緞織、しじら織と様々な技法を試みました。持ち前のバイタリティと勤勉さで西部工芸展や日本伝統工芸染織展などの公募展でも入選を重ねるようになった頃、60歳を超えて髙木は、その後の創作活動を決定づける体験をします。それがスーピマ綿という極細超長綿との出会いでした。絹にも劣らぬしなやかさと艶やかさを持ちながら、布になったときに快適で丈夫なこの糸は、自分だけの表現を志しながらも同時に「人間らしく生きるためには、自分で食べるもの、着るものなどの一番基本的なモノづくりができなければ駄目だ」と着物の実用性にもこだわった髙木にとって、うってつけの素材となりました。

そのスーピマ綿の特徴を最大限に活かすことのできる織はなにかと試行錯誤を繰り返し、見出されたのが風通織です。風通織とは二重織の一種で、表裏に異色の糸を用いて平織の二重組織とし、文様の部分で表裏の糸が入れ替わるように織ります。ですから表裏の糸が交差するところ以外は袋状になり、つまりそこに「風」が「通る」のです。糸が細くても厚地になるために通常は絹糸で織られ、しかし空気を含むためにあたたかく、かつては福岡にも冬の防寒着として木綿で織っていたところもあったとか。幼少より福岡に暮らす髙木は、その風土とのつながりを大切にしながらも、自分流の風通織の確立を目指しました。

藍色と緑色を中心にしてごく限られた色数で織られる髙木の木綿地風通織は、だからこそ着る人を選ばない懐の深いデザインを実現します。と同時に、その着物に人が袖を通した時、裏地の色が微妙に照り映えて、独特のニュアンスと空間が生まれる豊かな美しさを醸し出すのです。

「月待ちの浜」について髙木はこう語っています。「台風一過、竹富島の海から大きな月がゆらゆらと立ち昇る。べた凪の海に僅かな白い波頭が。荘厳としか云い様の無い風景」。髙木にとって織物は抽象画。はじめに自分自身が目にし、感応した自然や風景があり、想いがあります。それを織物に託すためにデザインを考え抜き(時には「脂汗をかきながら6,7年間頭の中で悩み、温め」る言います)、草木染によって自然の色を糸に映し、無心で機に向かうのです。

見る/着る人をやさしく包み込む髙木の清らかで美しい着物は、自然への恭敬と表現への真摯な思いによって紡ぎ出された賜物として、私たちの前に広がっています。

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いま書くとすると、もうすこしちがった紹介文になりそうですが、それはそれ。以下のサイトでは作品画像もご覧いただけますので、よければ覗いてみてください。

http://fukuoka-kenbi.jp/reading/selected/kenbi2983.html

 

2017年10月15日(日)

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