展覧会コンセプト

布は第二の皮膚とたとえられる。生まれてすぐに産着にくるまれ、わたしたちはその生の長きにわたって布と触れあう。身体を包み、守ってくれるだけではない。ときには気持ちを癒やし、ときには暮らしを豊かにし、ときには知性を覚醒してくれる。だからこそだろう、糸や布を題材にした曲や小説が古今東西数限りなく存在し、人はその曲を聴き、小説を読んで共感し、心動かされ、涙することもある。
テキスタイル(織物、布地)という言葉はテキストゥーム(織られた物)というラテン語に由来するのだが、じつはテキストも同じ語源を持つ。糸を紡いで、経糸と緯糸を整えて、布を織っていく営みは、言葉を紡ぎ、文章を広げていくことにも通じていく。糸や布が文芸との高い親和性を示すだけでなく、哲学や思想においても有効なメタファー(隠喩)として機能するのは、ここに理由があるのだろう。
ただし、糸や布の始まりについて考えれば、もうひとつ大切な要素がある。それは繊維を撚って1本の糸を紡ぐ場合も、糸と糸を交差させて1枚の布を織る場合も、そこにすき間が生まれるということ。織物のうち繊維が占める質量は全体の20〜50%に過ぎず、大半は空気であるからこそ、布は薄くしなやかで、伸び縮みして丈夫で、あたたかい。つまり糸と糸がどのように交わり、どのようなすき間が形づくられるかによって、布の布たる所以が生みだされ、その性質や表情までもが定まるのである。
この事実に思い至ったとき、布はわたしたちの生といっそう近いものになる。精神病理学者の第一人者であり臨床哲学の先駆者でもある木村敏は、著作『関係としての自己』において、次のように書いている。「自己とは、自己と他者とのあいだ——現在の事物的世界とのあいだだけでなく、当面の他者とのあいだ、所属集団とのあいだ、過去や未来の世界とのあいだなども含む——の、そしてなによりも自己と自己とのあいだの関係そのもののことである」と。人生を糸や布とのアナロジー(類比)で語るのではなく、木村のこの言葉を導きの糸としながら、生のあり方そのものを深く見つめるために糸や布と向き合ってみたい。これが本展企画の動機となる。

展覧会名の「いと」は「糸」であり「意図」でもある。ひとりの作家の意図ともうひとりの作家の意図が交わることで、どのような関係性が生まれ、どのような「あいだ」が開かれるのか。そこにわたしたちの目は何を見て、生はどう交わるのか。本展では、伝統工芸、現代工芸、現代美術、デザインなど、多彩なジャンルに属しながら、同じように糸や布、繊維を素材にして作品を手がける15名と1グループの営みを、8組の展示空間として紹介する。展覧会を見にきてくれた人たちの生が、わずかなりにも更新されることがあれば、うれしく思う。

2017年08月02日(水)

ページのトップへ戻る