〈定式〉と“私”

関島寿子《捻れの収束 Ⅱ》2010年、作家蔵

いつも手の届くどこかにあって、たまに読み返してみるとそのたび毎に発見がある。関島寿子さんの『バスケタリーの定式 かごのかたち自由自在』(住まいの図書館出版局、1988年)はそういう1冊です。バスケタリー作家/かご製作者である関島さんが自身のかごづくりをめぐって書かれたエッセイ集ですが、かごづくりやクラフトについての知識など特になくても読んでいてドキドキしてしまうのは、関島さん自身が「人の作品を自分のレベルでしか見ることができないが、良い作品は見る人のどんなレベルにも発信するはずだ」と考えている人だからでしょう。

本のタイトルになっている〈定式〉とは、関島さんが世界中にあるさまざまなかご、さらには「かご」とは一般的に呼ばれないいわゆる編組品まで含めてリサーチして導き出した、人が組織をつくる際の秩序のようなものです。関島さんは組織の構造や力関係に注目しながらそれを6つの系譜に還元し、6つの〈定式〉と呼んでいます。つまり1)絡み編み、2)絡み結び、3)組み編み、4)巻き上げ編み、5)平織り編み、6)もじり編みの6つです。

この6つの〈定式〉を組み合わせることで、かごのかたちを自由自在に、多様につくることができるという訳ですが、そのことについて関島さんはこう説明します。「決まっているのは部分の構造だけじゃなく、それに伴って生まれる形もきまるということなんです。そこで私は、材料の性質と構造をつくる方法とできあがった形、その三つ巴というのは動かない、それを〈定式〉と言っている。それをそのまんまつくったのでは鳥が鳥の巣をつくったのと同じで、たとえピラミッドの形になってもおむすびの形になっても同じことなんですね」と(十川忍「考える“かご”—かご製作者・関島寿子の「工芸」論に学ぶ」『工芸現想』1991年)。

すこし長くなりますが、このまま引用を続けます。「「物質のロジック」というのは壊せない、と私は思っています。壊して何かをつくったと思う人がいるかもしれませんけど、よく見れば壊れていないんです。“素材を活かす”と言いますけど、では材料って死ぬのか。木の枝を折ったら死んだと言えるかといえば、言えないですよね。そういう言い方もできるわけで、材料は色んな隠された性質を持ってて、ただ自分に見えてなかったんですよ。私はそういう風に考えているんです。ですから、ほとんどみんな自然の手の平の中に入っちゃってて、「自然の法則」とはそういうものだと思いますよ。」

「ただ、かごの場合はそれがもろに目に見えて都合がいいんですね。構造そのものが目に見えるという利点があるから、私がこういう考え方をするようになったと思うんですよ。やっぱり、かごという「工芸」の方法が“私”を訓練しているんですね。」

「自己表現なんて言葉では存在するけれど、何だか分かるはずないんですよ。まず“自己”が分からないんだから。〈定式〉を新たに意味づけること、「方法の見直し」ができたと自覚した時に、結果的にそこに自分が映し出されます。〈定式〉は“鏡”として便利です。そうやって自分が見えてきて、人とちがう考えがしていける。その結果、出てくる表現は自ら“個性的”である。そういう順序なんだと、私は思っています。」

美術や表現において、オリジナリティやコンセプトが大事だとよく言われます。それはそれとして認めつつ、ではどうやってそれが作品に付与されるかと言えば、はじめに自己ありき、私ありきではありません。かごと私とのあいだで“私”がつくられていき、私と〈定式〉に映し出された私とのあいだに“私”が生まれていく。そういうのっぴきならないプロセスを経るからこそ、作品は“私”によらない強度を獲得することができるのです。

これは取りも直さず、木村敏の「自己とは、自己と他者とのあいだ(中略)の、そしてなによりも自己と自己とのあいだの関係そのもののことである」という言葉の、関島さんなりの「見直し」と言えるのではないでしょうか。

2017年09月17日(日)

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